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仲谷史子@心に響く文章講座
大阪で【心に響く文章講座】を開催しています。
小説家たちの技術と心理学の融合講座です。
第二回100人共著プロジェクトに書き手として参加。優勝することができました。
VALUは始めたばかりですが、今後ともよろしくお願いします。
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仲谷史子@心に響く文章講座

人生は旅のようなもの

先日は『100人で書いた本〜場所篇〜』の最優秀著者賞をいただき、たくさんのお祝いの言葉をくださいまして、ありがとうございました。
文章オタクとして、この作品について思うことを書かせていただきます。

お題『場所』と聞いて、私の実体験、礼文島の話が浮かびました。想いを巡らせているうちに、『帰る場所』がテーマになりそうだと思いました。題名は『旅人』だと直感が言いました。
テーマをぼんやり私の中からすくいあげるように書き始めました。小さな水流だったテーマが、徐々に広い河になっていく。
800字の難しさは、この短い中で、自分自身が入り込んでその河を泳げるかということでした。

旅人たちは家に帰っていくのに、自分は帰ることができないと思っていた。
クライマックスは、夜明け前に部屋の窓から見た景色と、父からの手紙。
もうそこで、あと5行しか残っていませんでした。その頃にはテーマの河をどっぷり泳いでいて、ラストはほとんど無意識に書きました。
特に、最後の一行は、なぜこれを書くのだろう、でも、どうしてもこれなんだと思いました。

書き終えて何日か経ち、最後の一行から、ああそうだったのか、と言葉にできないものを受け取りました。テーマの河とはまた違う、たぶん最初から流れていたもの。
私の心の一番奥にあった、伝えたかったこと。
それは、今の私に伝えるメッセージだったのだと思います。

書評や友人たちから、最後の一行で何故か涙が出た、最後の一行が良い、と感想をいただきました。

〜〜
25歳の夏に礼文島に行きました。一ヶ月滞在しました。
奥さんは当時40歳ぐらいの綺麗な人でした。私が働いたのは東海岸の礼文ユースで、現在は民宿になっています。
西海岸に桃岩荘という有名なユースがあり、そこも奥さんの家族が経営していました。
桃岩荘は人気があって女の子8人、男の子8人ぐらいのヘルパー(働き手)がいましたが、礼文ユースは奥さんと私、そして男子ヘルパー2人でした。
二つのユースは行き来もあり、書ききれないほどの出来事がありました。

玄関で見送ってもらったとき、奥さんは目を真っ赤にしてました。港からは一緒に働いたヘルパーが見送ってくれました。私が甲板に出て、彼らは私を見上げてました。離れた場所では、桃岩荘の見送り隊20名ほどが、帰る宿泊者たちに向かって歌い踊り始めました。私の真下にいる男の子2人は、桃岩荘に負けないぐらいの大声で歌ってくれました。海岸通。彼らの頬に涙がいっぱい流れていました。
私は泣かなかった。玄関でも、船が動き出しても。奥歯を噛み締めてました。いつまでも手を振る彼らの姿が見えなくなって、私の部屋の窓が遠くに見えたとき、やっと子供みたいに泣いたのでした。

『100人で書いた本〜場所篇〜』
https://www.amazon.co.jp/dp/B079CMMX2Z

仲谷史子@心に響く文章講座

第3回 100人共著プロジェクトで、最優秀著者賞をいただきまして、心から感謝しています。
文章講座の講師をしているため、3位内に入らなければ生徒さんに申し訳たたないとか考えて、いつも余計なプレッシャーを感じています。
が、そのプレッシャーが私を成長させてくれそうです。

私は、デビューしているプロ作家ではありません。予選通過で、良いところまではいくけど落選している素人です。
VALUの肩書は作家が一番近いと思って選びましたが、まだまだ素人です。
でも、教えるのは得意で、こちらはプロ意識を持ってます。プロ野球で一軍には入れないけど、コーチとしては一流になる選手。自分はそのタイプだろうなと思います。

でも、いつか文学新人賞をとりたいと思っています。2000人に一人の難関です。肩書よりも、新人賞の作品は、プロよりも面白いといわれてるからです。面白い作品を一生かけて書いてみたい。

私は教科書に出てくるような作品を書きます。それが受賞に届かないネックでもあります。
ブッ壊れる素晴らしさを、 100人共著の作品群に教えられました。私にとってこのプロジェクトは、学び多きものとなってます。

今後ともよろしくお願いします。

優勝作品は、No.41、旅人です。
旅人は帰る場所があるから旅ができる。本当の帰る場所は自分なのだと、大自然と人々が教えてくれた。
そんなことを密かなテーマとして書いてました。
私の実体験です。

https://www.amazon.co.jp/dp/B079CMMX2Z

仲谷史子@心に響く文章講座

本流と源流について先日書きましたが、まだ整理ついてなかったため、ようやくまとまり、FBで書いたことを記しておきます。

体験談や小説には
本筋と本流と源流がある、という話です。

体験談や小説を書くときに、突き抜けた文才を持つ人たちは何をしているか

この二人の作品を読むと、いつも私は美味いビールを飲み干したときみたいに「くわぁああ!」と叫ぶ。
作品の中に、本流と源流を生み出す人だ。
私がこれから伝えていきたい技術を、この人たちはすでに使えていたのだ、ということを、本流と源流について考えるようになって、理解した。
体験ひとつ書いても、上手いを超えて、突き抜ける。

私は無意識に本流と源流を生み出してしまうところがある。これだと教える側として、説明できない問題がある。
画家の山下清は、絵を端っこから描くらしい。普通は構図を先に考え、花火を真ん中ぐらいに描くと思うが、端っこから描くのに良い構図になる。
私も似たところがある。端っこから書いていくうちに勝手に構成されていく。
本流と呼べるテーマみたいなもの、行間から滲み出る源流は、書き終わってから自分で気付いたりする。

だけど、よくよく思い出してみると、書きだしたときに「私はこれを表現したい」というのは、ぼんやりながらも感じとっている。本流と呼べるものだ。源流も、途中から感じている。源流は言語化できない真理みたいなもの。その頃には催眠状態で勝手にストーリーが進むため、いわゆる変人になっていて、だから、誰も彼も変人になりなさいと言えないこともあり「これさえすれば誰でも」というのを私はつかみたいのだ。

小説家が無意識に使う技術を扱うことで、行間が生まれ、本流も源流も現れやすくなるが、あと一歩、書く側の意識として説明しなければならないことが見えてきた。

yさんは、私のタイプと似ていた。本流は完全な無意識ではなく、半意識的といったところか。源流も感じ取りながら書くという。

iさんは、完全な山下清だ。なにを書いたかわかりません、思いつくままなので、と恥ずかしそうに提示する作品は、完全な文学作品になっている。
こんな凄いものを書いて、どこが良いのかわかりません、とくるから、私はその説明に必死になる。

こうして、二人の突き抜けた文才の持ち主を前にして、誰でもそれができるようになるために、まず私が生徒さんたちに伝えていけることはなにかを一緒に考えてもらった。

いま出版されている、「100人で書いた本〜場所篇〜」を三人でいくつか読み、本流を意識して書いている人と無視して書いている人、無意識にあって文章に見え隠れしているが本人は気付いていない人がいるらしいことがわかった。

本流というのは【このネタを使って自分はなにを表現したいのか】であり、また、それは文章上で書いては野暮になり、秘めておくほうが良い。
さらに意識に【】を持ったとしても、あまりにハッキリさせるとダサくなる、という難しさがある。
テーマはざっくりがいいと言われている。表現したいことは顕在意識のため、頭にのぼるテーマは心の奥にあるものより薄っぺらいものだ。ざっくりさせることで、書いているうちに心の奥にあるものが表出しやすくなる。心の奥にあるものは、真理に近い。

話が横道にそれてしまったが、場所篇には、【このネタを使って自分は表現していくのだ】という意図を持って書かれたものと、持たずに書かれたものがあるようだった。
その意図をぼんやりながらでも持っていた人は、何人ぐらいだろうか。

場所篇とお題がでて、好きな場所や思い出の場所を書く人、居場所という概念を書く人、いろいろあるが、その「ネタやストーリー」は、なにを表現したいかの「ツール」であることを、何人ぐらいの人が知っていたのだろう。
好きな場所を書いて終わり、思い出を書いて終わり、では、伝わりが弱くなってしまう。文章としてはオーケーなのだけど。
この意図については、私は無意識ではなく常にハッキリ持っていたため、誰でもそうするものだと思っていた。が、そうでもないことを、今頃になって知った。

私はこのごろ思うのだ。人が体験談を書く場合、人生の中からネタを選ぶとき、すでに自分が表現したいものを持っているのだと。
表現したいことを、無意識のままで表現できるのは山下清ぐらいだろう。一般的には、半意識的でも、無理矢理でもいいから、ざっくりと持ち、しっかり意図して書くのが良いのだと思う。
最近、絵描きの人からも、写真家からも、同じことを聞いた。

心に響く文章講座、アドバンスにて

※あまりにもわかりにくい説明を書いてしまいました。
少しまとめます。

体験談や小説には、
本筋と、本流と、源流があります。

本筋は、ネタとストーリー

本流は、行間から浮かび上がる、自分が表現したいこと。最初にこれを表現するのだと、意図しておくこと。
(たとえば、【挫折が最も私を成長させてくれた】【男女は解り合えないけど、だからこそ解り合おうとするのが愛なのかもしれない】といった文脈。これは文章上で言語化してはダメになり、頭の中でも、〜のようなもの、とざっくりさせておくほうがいいです)

源流は、行間から浮かび上がる、真理のようなもの。
(仏陀の言葉みたいなもの。言語化すると消えてしまう。本筋と本流が整い、小説家の技術を使うことで現れるようです)
〜〜

本筋は、筋に関係のないことをいっさい書かないことで整います。

本流は、意図を持つことで、書いているうちに、ぴったりのシーンや言葉が浮かび、流れが整っていきます。ざっくりと感じ取ることで、本筋にカーブができたり、良い揺らぎがおきます。

〜〜

また、コラム(自分の考えや思いを書いた文章)にも、意図は必要だと感じます。コラムには1割から2割の体験を取り入れたりしますが、表現したいことを感じ、表現するのだと意図を持つと、その話にぴったりのエピソード、言葉が浮かんでくるのでは。そういったコラムは、伝わってきます。
これもまた、表現したいことはざっくりが良く、ハッキリしたものは押し付け感が出たり、主観に読めたりしてしまうのが難しいところです。

そして、筋に関係のないことはいっさい書かない、というのも、小説や体験談と同じく大切に思います。

仲谷史子@心に響く文章講座

体験談では、読者に「思わせぶり」はできないのねん

今日の文章講座の方々も、小説やエッセイの技術をもともと無意識のうちに使える人でした。それをまず自覚していただき、上手くなればなるほど、してしまいがちなミスについてお話しました。

たとえば、下記のような文章があるとします。

恋人から郵便物が届いた。配達の人から小さな箱を受け取りサインしながら、誕生日でもないのに彼は何を送ってくれたんだろうと思った。
部屋に戻り、包みを開いてみる。中から、ある物が現れた。
私は珈琲を淹れた。窓から降り注ぐ日差しがまぶしい。庭に沈丁花が咲いている。私は振り返り、テーブルの上にある彼からの贈り物を眺めた。ためいきをつき、珈琲を一口飲む。

ここまで読んだ読者はどうなるか。卓袱台をひっくり返すほど怒り始めるかもしれない。
ある物ってなんやねん、主人公はなんでためいきをついてるねん、嬉しいんか、悲しいんか、どっちか言うてみワレ!

体験談は「私」とか「俺」で書きます。これは「私視点」という、小説の書き方の一つで、優れたエッセイは私視点で書かれています。
この私視点の書き方をすると、読者は作品の中の「私」の身体に入ってその世界を生きるようになります。そのため、「私」が見えているものは把握している必要があり、私の気持ちも知っておく必要があります。そうでないと、読者は私の身体に入っておれなくなり、まず怒り、そして内容に飽きてしまいます。読者は、他者の体験には興味が薄く、自分が主人公になってやっと共感が生まれたりします。

そういうわけで、私視点が扱えるようになったら、もう読者に思わせぶりはできない、ということになります。

また、ここで【重要】なことがあり、嬉しい悲しいを伝える必要がありますが、小説と体験談(エッセイ)は、「嬉しい」とか「悲しい」を書いてはいけないのです。これは心理学から説明できますが、理由は企業秘密とさせてください(思わせぶり)。
読者が嬉しい悲しいを感じる必要があるのです。嬉しいと悲しいと書いても、読者はそれを感じ取ることができません。
では、どうすれば、読者が感じ取ることができるのか。
たとえば、包みを開いたときに、自分が彼に贈ったものが入っていることを書きます。それは別れを予感し、そのあとの日差しやためいきが意味を持ってきて、悲しいだけでは表現しきれないものが、行間となって読者に伝わります。
⬇︎
恋人から郵便物が届いた。配達の人から小さな箱を受け取りサインしながら、誕生日でもないのに彼は何を送ってくれたんだろうと思った。
部屋に戻り、包みを開いてみる。箱の中から、時計が現れた。彼の誕生日に贈ったものだ。
私は珈琲を淹れた。窓から降り注ぐ日差しがまぶしい。庭に沈丁花が咲いている。私は振り返り、テーブルの上にある彼からの贈り物を眺めた。ためいきをつき、珈琲を一口飲む。

隠さなくても良いものを、無意識に伏せてしまうことがあります。そのつもりはないのに、思わせぶりになってしまうとき。
おそらくですが、その体験に向き合う準備ができていない、または、まだ怖くて避けている、思い出したくもない、など。
読み返して、思わせぶりになった箇所を自分で直してみると、やっと癒されたり、吹っ切れたりすることがあります。

余談ですが、主人公が名前で書いてある小説は、三人称視点といい、読者は主人公の背後霊のような場所にいて世界を眺めることになります。
身体の中にも入れて、後ろ姿も見ることができる。
この場合、思わせぶりができたりします。待たせても、読者は怒り狂うことはなく。ただ、ベテランになればなれほど、直木賞以上の作家さんたちは、よほどのトリックで必要な場合を除いて、読者を待たせることをしません。

心に響く文章講座、第2回目にて

仲谷史子@心に響く文章講座

文章を芸術にすると、人々の心に響く

先日OBバンド演奏会の打ち上げで、私は作曲家に出会った。その後輩は26歳の若さで、吹奏楽コンクール課題曲のコンテストに出品し、選ばれた。
彼に私は、最近気づいたことを話した。文章を書くとき、特に体験談や小説を書くときに、私が無意識にしていたこと。
源流を感覚で捉え、支流を源流に繋げていくこと。
それはすごく大事なんだと、最近やっとわかってきた、と。

私の話に彼は大きく頷いて、作曲もそうです、それが全てなぐらい大事です、と答えた。
僕の場合、二つの支流といえるセンテンスが直感で降りてきます。それを、どのように源流に繋げるかなんです。

あぁ私も同じだ、と思った。
二つの支流は、私も直感で降りてくる。いわゆる伏線ともいえて、書いているときに勝手に二つほど伏線が生まれる。源流にはまだ気づいてない段階のときが多く、なんでこれを書くんだろうと、書きながら思う。
伏線は、必ず本流に繋げていく。本流とは、軸みたいなもので、話の筋道の中心といえる。
すると、完成したときに、源流が行間から浮かび上がるのだ。

こうなる。
伏線➡︎本流(ストーリーの中心軸)
支流➡︎源流(無意識的なもの。聖なる領域)

伏線と支流は同じ、と捉えて良いと思う。
そして、見える川(本流)と、見えない川(源流)がある。

ある教授から「話の流れに関係のないことは、いっさい書いてはいけない」と教わったことがある。
いっさい、である。ぜったい書いちゃいけないのだ。
私はそれを「枝葉は必ず処理をする」と、文章講座で説明している。
それは、「伏線➡︎本流」の流れといえる。

そして、もう一つ重要なことがある。
見えない川を流すこと。
「支流➡︎源流」だ。
無意識の領域になるので、つかみにくいが、書くことを続けていると、感覚的につかめるようになる。感覚的に、が良いだろう。無理に言語化すると文章が浅くなる。言語化できない領域であればあるほど。

言語化するとすれば、たとえば、仏陀が残した言葉みたいなもの。
フランクル博士の「それでも人生にイエスという」とか。
そんな類いの、言葉にならないものが、伏線を本流に繋げていくうちに、自分の文章から匂ってくる。

今回の源流はこれね、私がいま伝えたいことはこれなのね、とその時、大雑把につかむ。もう離さない。「言語化せず」につかむ。
おそらく書く前から源流に手のひらを浸していたが、書いているうちに意識に上がってくるんだと思う。

言語化せずにつかんだものは、最後まで言語化しないのが大事だと思う。

たとえば、ある体験を書いて最後に「それでも私は人生にイエスといえる」と書いてしまったら、いきなり作品が薄っぺらくなる。
伏線を本流に流し、軸を整えて書くだけで、言葉にならない雄大なものが行間に現れてくるから、あえて書いてチャチにする必要はないだろう。

これは小説や体験談に限らず、コラムでも同じなんだと思う。
面白いコラムや共感できるコラムには、「まとめ」がないのだ。ほんとは、どんな文章にも、まとめはいらないのかもしれない。

100人共著プロジェクトに参加させていただいてるが、800字以内という短さの中に表現するのは、非常に勉強になる。

一作目も、今回も、書き終えてから源流に気付いた。途中から感覚的に捉えて書いていたが、読み返して、もっと確かに感じる。ラストシーンはいつも無意識だ。どうしてこんなラストシーンになるの、と書いてるときはわからない。書き終えて、読者になって、なるほど、と思う。

文学学校時代に、推薦で私の作品が文芸誌に載ったことがあった。
他のクラスと合わせての合評会が開かれた。
合評は厳しい。重箱の角をつつくような批評が続いた。
すると先生が立ち上がって、声を震わせた。
「君ら、いったい、どこを読んでんねん。君ら、この作品の良さを、ぜんぜんわかってないよな」
先生の目が涙で光ったため、私はうつむいて泣くのを堪えた。
そのときに、確か先生は、源流のことを話したんだった。私の作品には源流が流れているのだと。
興奮されていたし、説明めっちゃ難しいし、わけわからんかったし、あまり覚えてない。

私は誰でも、コツをつかめば源流を捉えて文章に流せるのだと思う。私は教える側になって、このことを、わかりやすく説明できるようになりたいと、いま思っている。

追伸
私の場合、伏線は直感で降りてきますが、一般的には難しいかもしれません。
本流(ストーリーの中心や伝えたいこと)に関係のないことは「いっさい」書かない。まずはこれで鍛えていけるのではと思います。
私も最初から直感で降りてはこなかったです。本流を意識することで文章力が伸びました。
テーマはざっくりです。ラストシーンは最初から決めると失敗しやすいです。

仲谷史子@心に響く文章講座

文章に源流を流すために、ペルソナとシャドウ

文章講座アドバンスは名手が揃われている。
美香さんが持ってこられた原稿のタイトルを見て、私は絶句した。100人共著【場所篇】の投票で私がNo. 1に選んだもの。どなたが書いたのかわからなかった。男性が書いたと思ってた。著者は美香さんだった。
なお、彼女はプロのライター歴30年の怪物だ。

源流がある。しっかりある。つかんでる。

千代さんの作品は当てることができた。上手い!でも3作品の投票には入れてなかった。文体も構成も見事。源流は行間から見え隠れしてる。あと一歩だったのだ。あと一歩の人が、何作かあったのだ。ベスト10には入ってた。
その源流に書き手自身が気付いているかどうか。
なにも考えてませんでした、と千代さんは笑った。申し訳ない。講座で説明したことがなかった。彼女の無意識に流れているのは確信できた。

この源流については、あらためて書くことになると思うが、私が100人共著を三冊読み込んで、私も二回参加して、気付いたことがあった。
作品には、源流が脈々と流れているものと、ぼんやりしているもの、ないもの、があった。

私は無意識に源流を流してきたためか、それを言語化できておらず講座で説明してこなかった。

小説や体験談(エッセイ)には、源流が必要だということ。
源流ってなに、という話になるが、それを流せるかどうか。あー、上手く説明できない。
テーマとはまた違い、それは言語化できないものだといえる。読者は行間からその流れを感じとる。

私はなんか知らんけど、体験談や小説を書いているとき、一本の綱をしっかり持っているのだ。それはたぶん、セルフといわれる部分から出ている綱だ。

支流はすべて源流に繋げる。

メモ書きのようで申し訳ないが、体験談や小説で大切なのは、そういうことなのである。

ぜんぜん説明になってないけど。

書く前は、その源流はわからない。
書き始めて、初めて自分の文章から源流を感覚的に捉え、その流れに身を任す。支流は勝手に生まれる。なんでこれを書くんだろと思ってると源流に繋がっていく。
魂が伝えたがっていることだ。魂から迸るもの。
ますます説明にならない。

この感覚を美香さんも知っていて、どうすれば流すことができるだろうかと私は美香さんに助言を頼んだ。

すると美香さんは、書いて書いて、書いているうちにわかるようになるのではと。
そして自分自身と向き合うことを恐れないことじゃないかな、と話してくださった。
同感だ。

私もこれから、生徒さんたちが、文章に源流を流すことができるよう、無意識でしていたことを説明できるようにならないと。いや、流れてはいる。ぼんやりしているのが、もっと読者の心の奥に流れ込むように。

自分自身を知る上で、非常に役にたつと思う、ペルソナとシャドウのワークをした。
仮面を外し、シャドウの資源化を。

追伸
ペルソナとシャドウのワークをすると、みなさんの雰囲気が変わりました。

心に響く文章講座アドバンスにて

仲谷史子@心に響く文章講座

第3回100人共著プロジェクト
『100人で書いた本〜場所篇〜』出版間近

文章講座の卒業生11名が参加表明、そして無事に入稿されました。
どなたも、もともと文章の才能がある方でした。そのことを知らなかった人がほとんどです。
文章講座2回目に小説家たちが無意識に使う技術をお伝えしますが、教室に提出された作品には、すでに技術が使われていました。

卒業されて小説を書き始めて一年で林芙美子文学賞の一次選考を通過した人(普通10年はかかります)、黄金比率の文体を持つ人、プロのライター歴30年の人、など、それぞれ個性的で味のある文章を書く方々が揃っています。

まず匿名版が出版されます。読者投票しますので、参加者同士、なにを書いたのか秘密にしています。

100人共著をこれまで全部読んできましたが、どれも面白く、素晴らしかったです。
文章を読むのも書くのも好きな私たちに、発表の場を提供していただけたこと。感謝しています。

仲谷史子@心に響く文章講座

『行間が生まれる技術』
何を一番伝えたいかは、秘めて書く

『100人で書いた本〜1440分篇〜』に出した作品No.49「伸びた恋」が、読者投票で第1位となり、最優秀著者賞をいただきました。ありがたかったです。
この作品は、体験を元にした話でした。私は体験談(エッセイ)書くとき、小説と同じく行間が生まれる技術を使いますが、それでも原稿用紙10枚(4000字)は必要な内容で、どう考えても規定の800字には収まりきらないだろうと、いったんネタを破棄しようとしました。
でも、もしかしたら出来るかもしれないと思い、書き始めました。

行間は、文章を削ることで生まれてきます。言葉にできない多くのものが読者の心に響く技術です。
どこを削ると生まれてくるかのポイントはいくつかあります。技術を使える作家たちは無意識的に削るため、おそらくそのポイントを説明できる人は少ないと思いますが、文章講座では説明させていただいてます。あとは訓練で削れる場所をたくさん見つけられるようになります。
私は技術を使えます。が、800字まで削ることができるのか。私にとっては挑戦でした。

800字で、残りの3200字以上のものを読者の心に響かせなければならない。書き進めるにつれて、目眩がして、催眠状態になりました。気がつくと8時間。倒れこむように眠り、起きて4時間推敲しました。

計12時間もかけて仕上げた作品なのに、翌日に読み直すとわけがわからない。
普段の私は芸術回路が閉じていて、どちらかというと論理的な思考をしているためでしょう。そして、芸術回路を開いて読むと、ふたたび読めてくる。ドットばかりの画面が、離れてみると絵になってみえる、そんな作品になっていました。

結果はどうなるか予測不可能でした。文章講座の講師という肩書きがあるし、3位以内には入らなくちゃという、余計なプレッシャーがありました。
優勝の報告を受けたとき、息がおかしくなって1日寝込みました。

お題1440分。1日のことですが、分にしてみると、1日のうちに時間が短くなったり長くなったりするときがある面白さを表現したいと思っていました。
書きたいことはたくさんありました。一晩中夜空を眺めて、なにを思っていたのかなど。
全て削りました。
そして「核」として私が伝えたいと思っていて、秘めていることがありました。
それは、時間が過ぎるのが短く感じる時は、命が輝いているとき。辛く悲しく思ったことも、振り返ってみれば、輝いている。ということを秘めていました。

読者投票をいただいて、「何度も読み返し、そのたびのたうちまわった」とか「あーーと心から思いました」などの感想を読み、行間はなんとか無事に成功したんだと思えました。

行間は読者の中でストーリーが出来上がるもの。読者のなんらかの体験にリンクして共感が生まれるもの。

優勝したあと、行間で読んでもらう技術の使い手が、使って優勝して申し訳ない、という変な気持ちになりました。
でも、多くの人に、こんな書き方があることを知ってもらいたくなりました。小説家だけが知っている時代はもう終わりにしようと。
読者が読者の中でストーリーを作ることができる。読者にプレゼントできる行間づくり。
これからも、伝えていこうと思います。

100人で書いた本〜1440分篇〜
アマゾンリンク
http://amzn.to/2AMRtZu

【心に響く文章講座、第27期】のイベントを立ち上げ、募集開始いたしました。
行間の作り方をはじめ、コラム、集客文章、エッセイ、小説などの本格的な技術を、三回でお伝えします。
https://www.facebook.com/events/1166946310102211??ti=ia

『100人で書いた本〜場所篇〜』が、もうすぐ出版されます。私と、文章講座の卒業生11名も参加しました。
お題、場所
百人百様の話を楽しんでいただけたらと思います。

写真左は、副賞でいただいた、オリジナルラベルの梅酒です。

仲谷史子@心に響く文章講座

100人共著プロジェクト、第1回MVP(最優秀著者賞)のもりしんじさまより、第2回MVPの副賞として記念バッジをいただきました。ありがたいです。
第3回100人共著「場所篇」は、1月30日か31日に発売予定です。また読んでいただけると嬉しいです。

仲谷史子@心に響く文章講座

自信を持って伝えていきたい

フェイスブックページ【心に響く文章講座】の背景画像を、この写真に新しく変えました。背景に自分の姿を載せることに、今まで躊躇してました。
看板になるのが怖かったのかもしれません。
なにを思ったか、これで行こうと決めました。
今まで、たくさん勉強してきました。まだ足りないと思います。だけど、私が伝えていこうとすることは、私しかできないと思うようになりました。

講座を開いてもうすぐ3年になります。私はそれまで、世の中の多くの人たちが文章の書き方に困ってられる事実を知りませんでした。

小説家や文章家は無意識のうちに技術を使います。共感が生まれ、飽きずに最後まで読ませてしまう技術は、学校では教わらないし、使える人は無意識だから説明できない。私もそうでした。作文も論文も小説も、なぜ評価されるのかわかりませんでした。

書き続けたら上手くなるものだと思います。ただ、大阪文学学校に8年いて思ったのは、感覚だけで掴むには何年もかかり、理論で説明される必要もあるということでした。
たいていの人は、コラム派かエッセイ(小説)派か、どちらか得意な傾向があります。私はたまたま、どちらもいける方でした。

心理学を学び続けることによって、小説家やコラムニストたちが無意識に使う技術を、理論で説明できるようになりました。

私は誰でも書けると実感しています。
書けないのじゃなく、知らなかっただけだと。
ほぼ全ての方が、講座に来られた時点で良いところまでいかれてます。
私は、良いところまでいっていることを伝えたいし、もっと面白いことになることを伝えていきたい。

日本語は面白いです。共感が生まれやすいように出来ていると心から思います。
最近の世の中の文章が、心理学を「支配」に使って歪んできて、それがあたりまえになってきました。

文章も心理学も両刃の剣だと思います。
私は文章も心理学も、誠実に扱っていきたいし、そうしていくべきだと思っています。
文章を本来の形に。そして、本来の形を、人は誰でもすでに知っていることを信じています。

心に響く文章講座、フェイスブックページ
(文章技術をときどき披露していきます)
https://www.facebook.com/Nakatani.Fumiko.Bunsyou/

心に響く文章講座、第27期開講
(三月から始まります。受講生募集を開始しました)
https://www.facebook.com/events/1166946310102211??ti=ia

追記
私の文章講座の顧客ターゲットは、3年かかっても絞れませんでした。日本語を扱うすべての人です。
何故そんなに安いのと、よく言われます。
起業されてる方々のみ対象でしたら、もう少し高くするかもしれません。主婦の方々にも受けていただけたらと思っています。学生さんは半額に。
もちろん起業家の方々には、集客の要となる文章力を身につけていただきます。
ついでに小説も書けるようになってください。

仲谷史子@心に響く文章講座

日高昆布で出来た、ぐい呑み

100人共著の副賞で財部優次郎さまよりいただきました。お酒を入れると昆布が少し溶けて、香り豊かに。財部さんは取引先の挨拶で、手土産に持っていかれるそうです。見てびっくり呑んでびっくり。ありがとうございました。

こんぶぐい呑み
http://www.nakai-izushi.com/?pid=110641574

仲谷史子@心に響く文章講座

純愛吟醸『史子』

第2回100人共著MVAの副賞として、ぱをら瑞恵さまより、一升瓶、日本酒で造られた梅酒を贈っていただきました。ラベルは、ぱをらさんのデザイン。
純愛吟醸と、史子の筆文字、そして受賞作品『伸びた恋』の印。背景には私の故郷、千林の古い地図。地元の酒屋さんとのコラボでプレゼントしてくださいました。
家宝にします。で、めちゃくちゃ美味しいです。
ありがとうございました。

酒造さんリンク
http://koshigoi.com/

仲谷史子@心に響く文章講座

新潟県立海洋高校の生物資源研究部が開発した、魚醤『最後の一滴』

第2回100人共著MVAの副賞として伊藤慶惠さんが贈ってくださいました。新潟の特選品もいろいろ。ありがたいです。いただきます。

魚醤、最後の一滴
http://www.nousui-shop.com/items/detail.php?id=1

仲谷史子@心に響く文章講座

勉強しても、まだ足りない

仕事用のプロフィールを書きながら、私は何年勉強してきたんだろうと数えてみた。
文学や文章は、大学4年、大阪文学学校8年、仕事で3年、計15年。
心理学は、二十代に3年、2013年からずっとで5年、計8年。
文章講座で噛み砕いて説明していることは、合計23年の勉強で得た知識だった。

大阪文学学校の8年は、小説を書くことも大きかったけど、毎週3時間の作品合評会の蓄積はもっと大きかった。真剣に読んできた作品について、書評、添削箇所を、身を乗り出して話しあっていた。他の人が話す内容はすべて書き留めた。
読みながら同時に添削できるのは、この訓練があったからだと思う。

仕事を始めてからの3年は、インプットしながらアウトプット、検証、更新の日々だった。
文章と心理学は繋がっている。文章の書き方を心理学を交えて話すと、生徒さんの納得につながる。納得すると楽しまれ、すぐに上達していかれる。

文章という芸術を、心理学という科学で説明してきたのだなと、今日、ふと気がついた。

ときどき、勉強ばかりしてませんか、と、勉強にお金を使う人を叱咤するような投稿を見るときがある。
勉強すればするほど、仕事に生かせば生かすほど、勉強はまだ足りないと、その人たちはなぜ思わないんだろう。私はもっと勉強したくなる。
23年では足りない。死ぬまで勉強したいと思う。

仲谷史子@心に響く文章講座

読者の心に響く体験談の書き方
【書き手視点と私視点】

体験を書くとき、作文に慣れている私たちは、過去を振り返る「書き手視点」で書くことがほとんどです。文章は間違っておらず、何の問題もありません。ただ、読者は書き手の体験談を読むにとどまり、共に感動したり悲しみを感じたりするのが弱く「それは良かったね」「それは大変だったね」と、あくまで書き手の体験として理解することになります。
SNSの長さぐらいだと読めますが、原稿用紙一枚を過ぎると少し読み辛くなったりします。

自分の体験が読者の心に響きやすくなる書き方を、ご紹介します。

小説には「私視点」という書き方があります。私視点は、書き手ではなく、作品の中にいる私の視点でその世界を見る書き方です。
この書き方は、読者が「私」になるような感覚になり、言葉にならないものが読者の何かにリンクする、という特徴があります。
エッセイは「私視点」で書かれてあることが多いです。

とても嬉しいことがあったとき【その時の私になりきって、時間の流れに沿って書いてみる】だけで、もう一度その嬉しさを感じられるようになります。
とても悲しいことがあったとき、この書き方で、心の深い部分が癒されたりします。
そして、読者と何かしらの共感が生まれ、言葉にならない交流が始まるでしょう。
「私視点」は「とても」の時に、おすすめする書き方です。

例文を作ってみました。違いを感じていただけたら。
ベタな内容です。

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書き手視点の体験談(絵文字も入れてみます)

先日、彼とイブのデートをしていた時、すごく嬉しいことがありました♪
クリスマスのプレゼントに、指輪を買ってくれたのです(//∇//)
サイズがわからないから、その日は一緒にお店に行ってサイズを測ってもらい、欲しいものを選びました。
ダイヤモンドの小さな石がついたリングが欲しかったんですが、値段が高くて申し訳なくて、言うに言えないでおりました(^^;)
するとその時、彼の方から「これが似合いそうだね」と言って、私が一番欲しいと思っていたリングを指差したのです。
今でも不思議です。リングは他にもたくさんあったのに、彼は私の一番を見つけたのですから(*´꒳`*)
「こんな高いもの、いいの?」と私は言いました。「婚約指輪のときは、もう少し奮発するよ」と彼は答えてくれました。
プロポーズだと思います。
その場で私の薬指にはめてくれて、嬉しかったです。本当の婚約指輪が楽しみです。
皆様にもこの幸せをおすそわけ♪

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私視点の体験談(上記から、書かない方が良い部分の削除もしています。書くことで失った、言葉にならないものを現すためです)

イブのデートで彼と私は宝石店に行きました。クリスマスのプレゼントに指輪を買ってくれるためです。
サイズがわからないのでお店の人に測ってもらい、欲しいものを選びました。
ガラスケースの中で光る、ダイヤモンドの小さな石がついたリングが欲しくなりました。値段が高くて申し訳なくて、言うに言えません。
「これが似合いそうだね」と、彼は私が欲しいと思うリングを指差しました。お店の人が目の前に出してくれました。
「こんな高いもの、いいの?」と私は彼を見上げました。
「婚約指輪のときは、もう少し奮発するよ」
それってプロポーズ?
彼は私の手をとり、薬指にはめてくれました。

仲谷史子@心に響く文章講座

多様性の素晴らしさを感じるこの頃、昨年の夏に書いた文章を掲載させていただきます。
コラム(自分の思いや考えを書いた文章)の参考にしていただければ幸いです。

伝えたいことを伝える勇気

世の中に本気で伝えていきたいことが、世間の常識とは馴染まないことがある。
書いてしまっても良いのかと多くの人が躊躇し、書くことを諦めたりするんじゃないかと思う。
私は、本気で伝えたいのなら、世間の常識とは違うことこそ、伝えていけば良いと思う。
文章は、そのためにもあるのだとさえ、感じている。

世間の常識は、世間の多数決。真実もその時代の多数決。多数決の中に、少数派の意見は貴重だ。
世界を新しくする波のひとつになると思うから。

多数決の中で、人は馴れ合い、アホになる。どこかに違和感があっても、長いものに巻かれる方を選ぶ。
主張したら、大昔は殺された。村八分にされた。飢えた。巻かれる方がずっと安全だった。

少数派の意見を書いても、死ぬことはなくなった。
ただ怖い。なにを思われ、なにを言われるかわからない。
私もたまに変なことを書くが、やはり怖い。

それでも私は、本物の文章を書けば、どんな意見もその人の意見として存在できると信じている。

「本物の文章」の、私の定義はシンプルだ。

文章に嘘がないこと。

そのために、仮説は仮説で書き、思うことは思うと書き、心のつぶやきを表現したいときは、つぶやいているように書く。
「わかった」という位置にいない。嘘になるから。わかりつつある、そちらのリアルを選ぶ。

読者に思いがしっかり届くよう、私は文章にアドラー心理学を使わせていただいている。
アドラーは共存の世界を目指していた。
尊敬なきところに言葉は届かない。
読者を尊重することを、文章講座ベイシックから提案している。

同じ高さの目線で。
(上から目線で書かない。私はわかった人、読者はわからない人にしない)

読者の選択権を奪わない。
(仮説を言い切り文章で書いて読者の不安を煽らない。ダブルバインドしない。無理に勧めない。ですよね、を使って精神的脅迫をしない。私は思うのだを貫く)

動物的本能に訴えるのではなく、人間的本能に染み入るように。
そのことを意識する限り、少数派意見は人々から排除されないと思う。

日本の文章は、もともと共存的にできていたと思う。勝ち負けの世界色が濃くなって、少しイビツになったのかもしれない。