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仲谷史子@心に響く文章講座

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大阪で【心に響く文章講座】を開催しています。
小説家たちの技術と心理学の融合講座です。
第二回100人共著プロジェクトに書き手として参加。優勝することができました。
VALUは始めたばかりですが、今後ともよろしくお願いします。
仲谷史子@心に響く文章講座

週刊キャプロア出版に寄稿を始めて3カ月が経ちました。毎週なにか書いて、執筆仲間にアドバイスして、嵐のように過ぎていきました。

第11号のリーダーをしました。
テーマは【喪失と再生】
徹底的に喪失を書ききれば、再生の光は行間から現れてくる。書き手の方々にも読者にも、その体験をしていただければと思っていました。
名作が揃いました。
表紙や挿絵も素晴らしい。デザインの方々、サポートしてくださった方々に感謝します。
【アマゾンリンク】
https://amzn.to/2LxWDQD


仲谷史子@心に響く文章講座

心に響く文章

心に響く文章はどんな文章なのか。
「琴線に触れる」という言葉がありますが、同じようなことに思っていただけたらと思います。

良い文章はたくさんあるし、面白い文章もたくさんあります。ただ、100人共著の中でランクインするには、読者の心に響くのが重要だと思っています。

100人共著の100人は文才のある人が多いです。ブロガーやライターの方、デザイナーなど様々な職種の方がいますが、揃って無意識のうちに「行間」を生み出せておられます。
行間とは、物理的な行と行の間ではなく、言葉にしていないけども浮き上がるもの、言葉以上のものが現れる場所(だけど視覚では見えない)です。

行間を生み出せる人の文章は面白いです。コラムにしろ、エッセイにしろ。文章講座では理論で生み出し方を学んでいただきますが、100人共著に参加されている卒業生の方は、もともと才能をお持ちでした。自身の芸術性を理論で初めて認識されたと思います。
そして卒業生以外の多くの共著参加者も、無意識に行間を生み出せる文才のある人たち。そんな中で、100作の中から投票で選ばれるには、飛び抜けないといけない。

心に響く文章は、行間がものを言う、といえるほど、まず「行間」があるかどうかで決まると思います。
そして、行間を生み出せる人には、さらに課題が待っています。
行間から、言葉にならないものをしっかりと溢れさせる必要がある。その言葉にならないものが、読者の心に響いていきます。

そのための方法として、私は本筋と本流を整えることを提案しています。

本筋は、ストーリーです。
本筋とは関係のないことをいっさい書かないことで整います。「いっさい」です。全ての言葉や文脈が、なんらかに必ず関係している必要があります。これは原稿用紙100枚であろうと同じです。
今回参加の卒業生は、ほぼ全員クリアされていました。

本流はテーマといえます。このストーリーを使って自分は何を表現するのか、ということ。
書く前に頭に浮かぶテーマは、けっこう浅い。小さく浅い川です。ところが行間を生み出しながら書くうちに、大きな深い川になって流れ始めます。
そして、このテーマは、言語化すると一気に駄作になってしまいます。

本筋と本流が整うと、いよいよ「源流」が行間から表出してきます。この源流こそが、人々の心に強く響き、魂に刻まれるような力を持っているようです。
私は「本筋と本流が整うと、源流が勝手に流れる」と説明し、それは事実といえるのですが、何故流れ始めるのかは、おそらく誰も説明できていないように思います。少なくとも、文学学校の小説家の先生方から説明を聞いたことがありません。

そうすると、私は探求したくなるのです。
少しだけですが、見えてきているものがあります。
「伏線」がキーになっているのではと。
ある作曲家が、伏線は天から降りてくる、と言いました。数々の伏線を、いかに本筋に流すかなのです。と。
私も、伏線になるものが、勝手に降りてきます。何故このシーンにこの台詞を使いたいのか、このアイテムを使いたいのかがわからないまま、文章にします。そして、本筋を整えていくと、繋げる必要が出てきます。
たとえば、優勝した「伸びた恋」は、途中で彼が「おまえはアホか」と言い、最後に私が「アホ」とつぶやく。この繋いだことの行間に、なにかがあるように思うのです。
源流は、自分ではわからないほどの深い部分から現れてきます。書く前はまったく気づかない。
書いたあと、読み返して気づきます。しかも、それは言語化できないもの。

おそらくですが、このアイテムを使いたい、このシーンを使いたい、と思ったときは、心の深い部分からのメッセージなのでしょう。

今日、ある作品の源流をあえて言語化すると「若さの輝き」と私は伝えました。すると著者は、意識して書いた、と答えました。
それを聞いて、あ、意識に上がっていたなら、源流ではなく本流(テーマ)だと思いました。
だとしたら作品のどこから私は源流を感じたのか、改めて思い出しました。

そういえば、若さの輝きより深い何かを感じていました。添削の紙にも書いた。過去にヤンチャした青年の澄んだ瞳。主人公の生命力とあいまって、人生の奥深さを感じて鳥肌がたったのだと思います。

仲谷史子@心に響く文章講座

100人共著作品、マニアック添削

お題「1万円」のときのマニアックなポイント
(その2)

気にしなくて良いですが、意識すると良いことがあります。

小説や体験談エッセイのタイトルに似合うのは、「ストーリー全体に流れているもの」や、「象徴」です。
タイトルと同じ言葉をストーリーの中には使わない、という技はかなり高度で、良しとされています。
ただし、タイトルを読まないと内容が完結しないタイトルは使わない方が良いです。タイトルはストーリーの一部になれない。ここ説明むずかしい。
タイトルとセットで内容がわかるのは、良しとされません。

話が戻りますが、タイトルと同じ言葉を内容に使っても大丈夫です。使わずに済むなら越したことはありません。

ではお題の「1万円」ですが、タイトルではないので、ストーリーに1万円が出てきてもOKです。
ところが、文章講座の卒業生の方は、お題の言葉すらも使わずに1万円を浮き上がらせようとするマニアックな方々がいます。
それは可能です。前回、成功した人もいました。場所という言葉を使わずに場所を表現した。
それは素晴らしいこと。
しかし、そこまでマニアックにならんでもいいかもしれません。逆にすべったりする。
1万円、書いてもいいと思います。

また、お題に1万円が記されてるからといって、読者が1万円のことを知っている前提として書くと野暮になったりします。
お題を知らない人が読んでも、ストーリーの中に1万円が関連しているのが伝わるように書くのがミソです。
1万円を主人公にする必要はないです。主要な、キーとなる材料として扱うのが良いでしょう。

今日の添削会。突然泣いたり笑ったり。

第5回100人共著プロジェクトが始まりました。
書き手募集が始まっています。
詳しくはHPをご覧くださいませ。
https://news.100authors.work/

仲谷史子@心に響く文章講座

100人共著作品、マニアック添削

お題が「1万円」のときのマニアックなポイント。
(その1)

気にすることはないですが、意識すると良いことがあります。
たとえばストーリーの中に1万円を出すときに、その1万円が3万円だったとしても同じストーリーが書ける場合、1万円に意味がなくなり、お題に沿っていないことになります。
そのネタは使わない方が良い、または1万円に意味を持たせる必要があります。

先日、私はボツネタとして、サンフラワー弾丸1万円の体験談を投稿してみました。あれは、無理矢理に意味をつけています。
「もし1万円を一番好きなことに使って良いと言われたら、私は迷わずサンフラワーの船旅をするだろう」
こんなことを出だしに書いた記憶があります。
もし、「サンフラワーの旅をしました。弾丸で1万円です」とだけ書いていたら、弾丸で3万円だったとしても同じストーリーになり、1万円を表現したことになりません。

お題に意味を持たせる。そうしなくてはならないってことではなく、これを意識すると創作がより楽しくなる。
そして、読者の記憶に残りやすくなるかと思います。

ご参考までに。

今日は100人共著の楽しい添削会でした。おもろいアホばっかりです。

『100人で書いた本〜一万円篇〜』正規版発売
https://t.co/asstv4tsTV

仲谷史子@心に響く文章講座

地蔵を背負いたかった

先日『100人で書いた本〜1万円篇〜』で、私が書いた作品【10人の漱石】が第3位に入賞しました。
この作品を書くにあたり、台詞の箇所は夏目漱石になりきろうと思い、Kindleで約10冊の作品を買って眺めていました。全部0円です。
漱石の文体や漱石の価値観、そして明治の会話表現を私自身に馴染ませました。

そのうち、私が漱石みたいになってきて、あの作品のあの部分を使いたいと心の奥が叫びだし、『草枕』の「智に働けば角が立つ」とか、『こころ』の「向上心のないやつは馬鹿だ」とか「この手紙が届く頃、私はこの世にいないでしょう」とか、どこかに入れてくれと漱石に叫ばれるのだけど、800字には入りません。
それにオタクなこと書いてもしかたないでしょ、とたしなめながら、作品を仕上げました。

せめて、地蔵を背負いたかった。『夢十夜』の第三夜。子供を背負っていたら急に地蔵になった。人間の原罪を表現したかったのである。
旧千円札はリサイクルでトイレットペーパーになるが、地蔵を背負うよりはマシだろうと吾輩は言いたかった。あ、違う。
地蔵を背負う方がマシ?
どっち?漱石。

『100人で書いた本〜1万円篇〜』
アマゾンリンク
正規版は明日発売予定です。匿名版購入の方は、正規版無料ダウンロードできます。
https://t.co/asstv4tsTV

仲谷史子@心に響く文章講座

結果発表

第4回100人共著プロジェクト『100人で書いた本〜1万円篇〜』

最優秀著者賞MVAに作品No.8【きっかけ】を書いた後藤 宏一郎さんが選ばれました。
後藤さんは文章講座の研究クラスに在籍されてまして、SF小説に長けておられます。今回もSFを出されるのかと思いきや、ハートフルなショートショートを書かれました。
写真は、お題1万円が出た直後。難しいなあと話していたときのものです。
前回のMVAからバトンタッチできたようで、とても嬉しく思います。

第2位は、作品No.90【既読】樋垣由紀さん。
第3位は、作品No.83【彼の一万円】水川すみれさん。

お二人は、文章講座のアドバンスを受講中の方々です。毎回、心理描写のうまさに感動させていただいてます。

そして同列第3位、作品No.45【10人の漱石】仲谷 史子(私)。
なんとか無事に入賞することができました。


取り急ぎ、速報とさせていただきます。


スタッフのみなさま。
書き手のお仲間。読んでくださった方々。
ありがとうございました。

『100人で書いた本〜1万円篇〜』
アマゾンリンク(正規版は後日発売。匿名版購入のあと、正規版無料ダウンロードできます。)
https://t.co/asstv4tsTV

仲谷史子@心に響く文章講座

文章は、書いてしまいがちな部分を削るといい。

心に響く文章講座のアドバンスで添削をさせていただいてるとき、生徒の梅ちゃんが「華道のようですね」と話された。華道は余分な箇所をカットするらしく、華道の先生は生ける前からカットしてる、とのことだった。剣山に刺した時点で完成するのだろう。
エッセイや小説は行間を生み出すために、かなりのことを削除するが、コラムでも「本筋に関係ない」ことを削除すると読みやすくなる。

私が先日に投稿したコラムで申し訳ないが、例文として紹介すると、

妻とエロ本とイレブンPM

30代の頃、知り合いの女性が私に言った。ご主人がエロ本を買ったという。私という妻がいながらエロ本を観るなんて信じられないと彼女は半泣きになっていた。
私はどう返答していいかわからなかった。何故なら私は、私がエロ本を読みたくて夫に買いに行ってもらっていたからだ。

と、こう書いているが、文章を書くことに慣れていないと、下記のような文章が入ったりする。

30代の頃、知り合いの女性が私に言った。ご主人がエロ本を買ったという。私という妻がいながらエロ本を観るなんて信じられないと彼女は半泣きになっていた。彼女のことは昔から知っているが、嫉妬深いわけじゃなく、また、ご主人も女好きとかそんなタイプには見えない。結婚して五年目で、夫婦の関係はとても良いと思う。
私はどう返答していいかわからなかった。何故なら私は、私がエロ本を読みたくて夫に買いに行ってもらっていたからだ。

こんな感じになっていることが、わりとある。
人物を登場させたら、ちゃんと説明しないといけない気持ちになるのかもしれない。

書き手の私が持つテーマは、「性に関して緩い」で、また、私がエロ本を読みたくて買ってもらった、が本筋になる。
そのため、彼女の性格やご主人のことや、結婚何年目かとか、本筋には関係がない。
関係のないことが少しでも入ると、なにが書かれてあるのかわかりにくくなる。

私の癖で、追加した文章にも関連性が出てきてしまったが(少し成功してしまっている)、わりと見かけるパターンでは、彼女の家の場所や彼女とご主人との馴れ初めやら、「ほんとラブラブ❤️で。てへへ」などの独り言なんかが入り、さらに自分と夫との出会いまで書かれてあったりする。

続きの例文で、
ある男性の友人は、困った顔で私に話した。奥さんがエロ本を読ませてくれないらしい。
ゲロゲロと思った。男性がエロ本を読まなかったら、おちん○んが腐るんじゃないかと心配した。
⬆︎
この文章でも、慣れていないと、「その男友達とは古い付き合いで、何でも打ち明けられる間柄で」などを書いてしまったり、書かなくちゃと思ったりするかもしれない。でも、本筋は、エロ本を読まないとおちん◯んが腐るのではと私は心配する、なので、古い付き合いとかは、まったく関係のない話になる。

私の場合は、無意識のうちに書く前から削除しているが、これは誰でも自然に身についていくもので、はじめは書いてから削除していくことで、意外と簡単にできるようになる。

〜〜
アドバンス13期の1回目でした。今回は身体で覚えていく話が中心になりました。感性が豊かな方々のため、これからますます楽しみです。

〜〜
心に響く文章講座第28期イベントページ
水曜日クラスにお席ございます。よろしくお願いします。
https://www.facebook.com/events/773594302831689??ti=ia

仲谷史子@心に響く文章講座

妻とエロ本とイレブンPM

30代の頃、知り合いの女性が私に言った。ご主人がエロ本を買ったという。私という妻がいながらエロ本を観るなんて信じられないと彼女は半泣きになっていた。
私はどう返答していいかわからなかった。何故なら私は、私がエロ本を読みたくて夫に買いに行ってもらっていたからだ。

ある男性の友人は、困った顔で私に話した。奥さんがエロ本を読ませてくれないらしい。
ゲロゲロと思った。男性がエロ本を読まなかったら、おちん○んが腐るんじゃないかと心配した。それより、夫婦はうまくやっていけるのかと思った。ところが、あれから20年近くたっても彼女や彼たち夫婦はうまくいっているようだ。夫婦というのは面白いなあと思う。

夫が風俗に行くことについて、否定的な奥さんは多い。行ったら離婚だと言う人もいる。
私は、私にバレなければ行ってもいいと思う。そうしないと、おちん○んが腐ってしまうのではと、これは冗談だけど、男性は生理的に溜まる生き物だから、ときどきメンテナンスが必要だと思うのもあり。

寛容な奥さんだと友達から言われたことがある。寛容ではなく、たぶん、緩いんだと思う。
子供の頃に深夜番組のイレブンPMが流行り、大人の番組として、子供は観させてもらえないのが一般的だった。まわりの人に尋ねても、30人に一人ぐらいしか観ていないようだ。
私は両親と観るのが日課だった。子供の頃から寝付きが悪く、夜の11時になると父と母の間に座ってイレブンPMを観た。
大阪のストリップ劇場の映像が出てくると、いつも同じ話を聞かされた。天満のストリップ劇場近くでガス爆発の事故があったとき、劇場に行くはずの父がその日に限って行かなくて命拾いをしたのだと。行っていたら史子は生まれてなかったと頭を撫でてもらい、寝床についた。兄はビニ本を本棚に綺麗に並べて、独立して家を出るとき、父に置き土産としていった。

そんな、性に関して緩い家庭に育ったからか、私はどこか緩くて、それが良いことなのか、良くないことなのか、いまだにわからないでいる。

仲谷史子@心に響く文章講座

キョンキョンと私は同じ年

不倫について

先日、小泉今日子さんが男優との不倫関係を認め、責任を持って生きていく、と発表した。
キョンキョンは52歳。16歳のときから同じ年の彼女を身近に感じてきた。彼女が弾けていたとき、私も弾けていた。
今回の発表で、私は複雑な気持ちになった。常にカッコいい彼女だったが、今回は、その潔さがカッコいいとは心から思えず、うーんとなってしまった。

私ならどうするだろうと思った。私は既婚のため、彼女とは同じ立場ではないが、あえて離婚歴のある独身だと想定して、既婚の男性と恋愛関係になったとき、私はどうするだろうかと考えてみる。
もし相手の家庭が円満または別居していなければ、愛人として付き合って、日陰でつまんないけど決してバレないようにするだろう。家族の「重み」を知っているからか、相手の家族を守るのが一番に思う。もしバレたときは、別れる。それが約束だと、最初から話し合うと思う。

相手の家庭が別居状態の場合(キョンキョンの相手は別居だが、不倫発覚が原因かそれ以前から別居なのかは明かされていない)、それでもバレないようにするけど、結婚の方向へ踏み切るかもしれない。金銭的な面を覚悟して。離婚に応じてもらえない場合は、そのまま二号さんで付き合っていくけど、世間にはバレないようにする。

キョンキョンは、どうして世間に公表したんだろう。私は、やっぱり、不倫はしてませんと言い続けてほしかった。もう世間にはバレバレでも、嘘こくなと馬鹿にされても、いいえ友達です、とみっともなく振る舞ってほしかった。そのみっともなさを、私はカッコいいと思うだろう。

他の不倫についてはどう思うか。
たとえば、両方が既婚の場合。
私は、バレなければ不倫していいと思う方だ。こんな意見は叩かれそうだが。恋は盲目的なところがあって、不倫はダメと思っていても、誰がどうなるかわからないからだ。

私は決して不倫はしないし夫の不倫も許しません、と言う人が、人を好きになり身体の関係もできてしまって「まさか私がこんなことになるなんて。でもどうしようもないの。私は罪な女」と話すのを想像するだけでも気色悪いではないか。
人間だから恋もしてしまうだろう。
とにかく、バレてはいけないと思う。

もし夫が既婚の女性と恋愛したとする。私にバレたとき、まず私が怒るのは、バレてしまうようなドジをしたことだ。結婚は続ける。夫から離婚を頼まれない限り。
なぜなら家族は、言葉にならないほど「重い」からだ。家族の重さに比べれば、夫の不倫は目くそ鼻くそレベルである。
それから、私が既婚の男性と恋愛をしたとする。墓場まで隠し通すだろう。少しでもバレそうになったら別れる。その約束をして付き合う。バレてしまい離婚までいったときは、相手も離婚してフリーになったとしても、相手と別れて一人で生きていくだろう。

男性が既婚で、女性がこれから結婚していく独身の場合。
100パーセント、男性側から別れてほしいと思う。
既婚の男性は、若い女の子にとって魅力的だと思う。惚れられるかもしれない。でも、我慢して我慢して、女の子に手を出さないでほしい。

女性が既婚で、男性がこれから結婚していく独身の場合。
私の友人がもしそうなったら、「リスクが高すぎるからやめとき」って言うだろう。

仲谷史子@心に響く文章講座

磯野フネと私は同じ年

現代女性の生き方と、男性の自殺率

漫画サザエさんのフネさんと私が同じ年と知った。52歳。
あの漫画は1946年から1974年まで発表されたらしい。私が子供の頃まで、50代の女性は、たしかにフネさんのイメージだった。一日ゆったりと家事をして過ごす。
波平は54歳。定年ぐらし。将棋をしたりして余生を過ごす。
身体のリズムからみて50代というのは、ゆったりが良いのかもなあと思ったりする。

フネさんが専業主婦でも生活できていることから、ふと、私が子供の頃、まわりの大人は専業主婦がほとんどだったことを思い出した。贅沢ではなかったけど、近所のおばちゃんたちは主婦だった。
なんで食べていけたの?と思った。夫が安月給でも、主婦でやりくりできていたみたいだ。経済がうまく回ってたんだと思う。
いま、50歳を過ぎて働く女性が多い。社会に出やすくなった面や、社会的になったこともあるが、夫の給料だけでは食べていけないことが大きな理由だと思う。平均年収では、妻がパートか正社員になるぐらいの収入が必要になる。
日本は昔と比べて、貧乏になったのが現実なんだと思う。
夫に甲斐性がないわけじゃなく、全体的な収入と必要経費のバランスが悪いのだ。

女性は働かざるを得ない。
私は結婚してもしばらく会社勤めをしていたが、帰ってから家事をする生活は、体力的に厳しかった。夫も家事をしてくれるが、本来、男性は家事に向いてないのか、うまくいかない。
週に三日ぐらいの出勤で、男性と同じぐらいの時給2000円〜3000円の会社があれば女性も家庭もどんなに救われるかと何度も思った。社会全体がうまくいっておらず、現時点では難しい。

そこで、私の想像だけど、女性はたくましいため、夫の収入を責めることなく、働かざるを得ないならせっかくだから楽しく働こうとしているんじゃないかと思う。会社に就職するのが収入的にベストだけど、家事や子育てもある女性に社会はまだフォローできる状態ではないので、資格を取って、社会に彩りが生まれるような仕事をしようとする。

現代の女性は、専業主婦で食べていけた社会が崩れて、新しい生き方をしていくことになった。体力的にはフネさんがベストだろうと思う。生きていけないから見つけるしかない。そしていざ社会に出ると、女性らしさを表現できるように、模索していく。
女性はたくましい。が、模索中のため、様々な歪みが出ているのも確かだ。
収入面で競争してしまう。本来女性は競争には向かなくて、共存で守りに向いているという。ところが、もっと儲けましょうと風が吹く。煽っているのは男性だったりする。
既婚の女性は月に20万円前後の収入に抑えるのが、性的にバランスが良いと聞いたことがある。そこを越えると、男性性を発揮しなければならず、夫婦間にいろいろと出てくるのかもしれない。
シングルマザーの人は、子育てしながら会社勤めをして、男性並みの収入が必要になるが、そのあたりも、社会がもっとフォローできたらと思う。

ところで、男性の自殺率は、1950年(サザエさんの頃)、女性が1に対し、1.5倍だったらしい。もともと男性の方が多い。
それが、2015年には、女性が1に対し、3倍になった。1.5倍から3倍へ。
この数字は、きっと深刻レベルだ。
女性も社会に出て頑張ってきたけれど、男性の状態がえらいことになっている。
女性の生き方が変化する影で、男性は命を落としている。
このあたりの考察は、男女の性についてもっと勉強しないと語れない。

社会は男女の健康や幸せに対しての問題にまったく追いついていない。社会に求めても、難しい。いまは、それぞれが考えていく時なんだと思う。

以上、上野 大照さんの「心を学ぶ講座〜統合編〜(男女の性)」で学んだことを元にした考察でした。

仲谷史子@心に響く文章講座

すごく書きたいことを、我慢してちょんまげ

体験談を書いていると、ここでこれを絶対書きたいわ!という気持ちが起きたりする。

たとえば、少しベタな話になるけれど
喧嘩して別れ話が出てしまった恋人と、もし続けていきたいなら何処そこの何時何分に待ち合わせをしましょう、とメールで約束したとする。
そこに行かなければ、それでお別れ、どちらかが行ってどちらかが行かない場合でも、別れることに。
主人公の『私』はあれこれと彼との出来事を思い出し、やはり彼とやり直したいと思い、指定した場所に出かけていく。
そんなシーンのとき。

私は約束の場所に出かけた。歌舞練場前に向かう足が、ときどきすくむ。陽が落ちて、先斗町のあちこちに提灯がともり始めた。会社帰りのサラリーマンやカップルが私の横を通り過ぎていく。歌舞練場の建物が遠くに見えてくる。私はうつむき、ゆっくり歩いていった。視線の先に、見慣れた靴があった。顔を上げる。彼が立っていた。来てくれたのだ。私は喜びのあまり声も出せず、彼に抱きついた。彼も抱きしめてくる。私は彼の愛を感じた。もう、ずっと前から、彼は私を愛してくれていたのだ。そのことに、やっと気付いた。

と、こんな風に、興奮すると書きたくなってくる。
でも、これは『書きすぎ』になる。読者はだんだんと、あっそう、ふーんになってくる。
どこで切るかというと、「彼が立っていた」または、「視線の先に、見慣れた靴があった」。ここで終わるのが良さそうだ。
すると「行間」が生まれて、読者の中に、続きのシーンが見えてくる。
彼の愛を感じたとか、やっと気付いたとか、いらんいらん。もう、すでに読者に伝わっている。ぎゃーと言いながら、我慢して改行キー、そして終わり。

〜〜

今日は心に響く文章講座、2回目、小説とエッセイの回でした。
私の例文で、削ることにより、鳥肌が立つ感覚を味わっていただけたみたいです。

〜〜
心に響く文章講座、第28期のご案内
https://www.facebook.com/events/773594302831689??ti=ia

仲谷史子@心に響く文章講座

コラムは、現実(起きていること)を意識して書くと、文章に嘘がなくなり、伝わりやすくなってくる。

たとえば、次のような文章があるとする。
「辛いことを全て手放せたとき、世界は広がります」
これは、現実とは離れていて、文章にすると伝わりにくくなってしまう。
全てを手放せることは難しいし、全ての人の世界が広がるわけではないのが現実であるためだ。しかも「手放したら良い」という考えですら、書き手がどこかで学んだ知識にすぎず、真実とは言い切れない。
生き様や心については『常に仮説である』というのが現実といえる。

文章は正直な性質があり、嘘の形は嘘として伝わってしまうところがある。たとえ書き手が思い込んでいなくても、仮説を言い切ると思い込みとして伝わり、嘘っぽくなってしまう。

「辛いことを手放せたとき、世界は広がるのだと私は考えています」または「広がるのではないか」
「辛いことを手放せたとき、世界は広がるものなのかもしれません」
これだと、現実に近くなり、読者に伝わりやすくなってくる。自分は「こう考える」ことも「かもしれない」と思っていることも、『起きている』ことだからといえる。
たとえ言い切ったとしても、次のように書くと伝わりやすくなる。
「辛いことを手放せたとき、世界は広がる。そのように私は思うのです」または「そう信じています」

自分自身のことについても、仮説表現が伝わりやすい。
小説の主人公は、自分自身の気持ちや状態について、常に仮説表現をするものだ。

身体が辛いのは、昨日上司に叱られたからだ。
ではなく、
身体が辛く感じるのは、昨日上司に叱られたからかもしれない。

私は父との関係が悪かったので、未だに男性が苦手だ。
ではなく、
私は父との関係が悪かったせいか、未だに男性が苦手なところがある。

仮説表現にすると、いきなり村上春樹っぽくなるが、この「あいまい」こそが現実で、伝わりやすい文章になってくる。上は主観、下は客観。

「やっとわかった」
これも主観で思い込みの文章になる。わかりつつあるのが現実だろう。
「やっとわかった気がする」
これだと、気がするという、起きていることになり伝わりやすくなる。

私はわかったのだ、と書きやすい人は、時々、気持ちが落ちているように感じる。人は書いた文章に自分を合わせよう、証明しようとする。もしかしたら無理をするのかもしれない。わかった、と書いた時点で、現実的ではなく不可能なことを表現したことになる。
リアルは、わかりつつある。わかったような気がしている。ようやくわかってきたようだ。わかったつもりになっているだけかもしれないが。ぜんぜんわかってないのかもしれないが、現時点では私にとって大きな気付きになったと思う。

心の健康のためにも、仮説表現はオススメできる書き方だ。

〜〜
長くなってしまいましたが、そんなこんな話を笑いながら聞いてくださった、今日の文章講座でした。

仲谷史子@心に響く文章講座

あくまで参考にしていただければ
コラム(自分の考えや想い、主張などを書いた文章)について

どんだけ変人でも、どんだけ変態でも、人々の心に響く発信者になれる

心に響く文章講座アドバンス12期が始まった。
賑やかで楽しすぎて講座になるのか少し心配だったけど、もうすでに優れた書き手でいらっしゃるため、なんとかいけた。

人気コラムニストは『自分はこう思うのだ』を貫いている。どれだけ偏った考え方であろうと、自分はこう思うのだを貫く限り、読者が増えてくるようだ。プロの書き手は読者が増えようが減ろうが気にしないと思うが、人気コラムニストの特徴として。

逆に、どんなに良いことを書いても、読者に勧めた途端、読者は逃げていく傾向がある。
自分の考えや思い、またはどこかで学んだ素晴らしいことを書いたとする。でも最後に、みなさんもいかがですか、とか、こうしましょう、と投げかけた途端に、読者は逃げていってしまう。
おそらく、『選択』は読者の領域になるからだろう。

文章の難しさはこのあたりにあり、それは『会っているとき』と『言葉での発信』には大きな違いがあるからと私は考える。

話しかけるように話し言葉で書いたら集客できますという話を聞いたことがある。読者は結構、違和感を持ったりするようだ。
これは読者の領域に入り込みすぎているためと考えられる。

読者が拒否感を覚える言葉は、たとえば

あなた
ですよね
ですよ

これらに拒否感が生まれる理由を、心理面から説明することができるが、こう書いたら読者と近寄れるのだとか、ピンポイントで届くのだ、というふうに、なにか勘違いみたいなことが世間で起きているようなのだ。
読者は嫌がる傾向があるし、まず、書き手自身が気持ち悪くなるのではないか。

読者に近寄ろうとして勘違いした文章表現をして、逆に遠ざけてしまう。
もちろん、これらの言葉をすっと読者に届けられる人はいる。私の知る人の中でも何人かいらっしゃる。コミュニケーションの積み重ねができている人だから使いこなせるんだろうと思う。

読者を遠ざける他の理由として、私の中では明確に持っているものがある。

読者は書き手に興味がない。
内容に興味がある。
読者はその内容を読んで、自分の価値観や体験とリンクして共感する。
共感が増えて、書き手に興味を持つ。しかし、あくまで興味の対象は内容である。

これは小説家たちが持っておかなければならない意識だが、コラムでもエッセイでも共通するのではと思う。

そのため、『実はね、私も』と書いた途端、読者の気持ちが引いてしまうのではないだろうか。書き手の体験は読むが、『実はね』と書いたときの文章が持つ意味は『みんな私に興味あるんでしょ、だから特別に教えてあげる』になり、読者にとっては知らない人が電車で急に裸になったような気恥ずかしさが起きていると考えられる。
読者は基本的に書き手に興味がない。内容に興味がある。

ところが、『私はこう思う、考える』を貫く文章は、読者に抵抗が起きない。

コラムは、読者に話しかけなくても、質問しなくても、私がこう思うのだを書くだけで、読者にしっかり伝わるようにできている。

すでに名コラムを書ける今日の方々に、次回は少し難しい課題を出させていただいた。
世の中に伝えたいこと。アンチから入るコラム。
世間の常識ではこうだけど、はたしてほんとはそうなのか。という形のコラム。
書き方を間違えると炎上が起きてしまう。でも、コラムの形を貫けば、きっと大丈夫。

仲谷史子@心に響く文章講座

人生は旅のようなもの

先日は『100人で書いた本〜場所篇〜』の最優秀著者賞をいただき、たくさんのお祝いの言葉をくださいまして、ありがとうございました。
文章オタクとして、この作品について思うことを書かせていただきます。

お題『場所』と聞いて、私の実体験、礼文島の話が浮かびました。想いを巡らせているうちに、『帰る場所』がテーマになりそうだと思いました。題名は『旅人』だと直感が言いました。
テーマをぼんやり私の中からすくいあげるように書き始めました。小さな水流だったテーマが、徐々に広い河になっていく。
800字の難しさは、この短い中で、自分自身が入り込んでその河を泳げるかということでした。

旅人たちは家に帰っていくのに、自分は帰ることができないと思っていた。
クライマックスは、夜明け前に部屋の窓から見た景色と、父からの手紙。
もうそこで、あと5行しか残っていませんでした。その頃にはテーマの河をどっぷり泳いでいて、ラストはほとんど無意識に書きました。
特に、最後の一行は、なぜこれを書くのだろう、でも、どうしてもこれなんだと思いました。

書き終えて何日か経ち、最後の一行から、ああそうだったのか、と言葉にできないものを受け取りました。テーマの河とはまた違う、たぶん最初から流れていたもの。
私の心の一番奥にあった、伝えたかったこと。
それは、今の私に伝えるメッセージだったのだと思います。

書評や友人たちから、最後の一行で何故か涙が出た、最後の一行が良い、と感想をいただきました。

〜〜
25歳の夏に礼文島に行きました。一ヶ月滞在しました。
奥さんは当時40歳ぐらいの綺麗な人でした。私が働いたのは東海岸の礼文ユースで、現在は民宿になっています。
西海岸に桃岩荘という有名なユースがあり、そこも奥さんの家族が経営していました。
桃岩荘は人気があって女の子8人、男の子8人ぐらいのヘルパー(働き手)がいましたが、礼文ユースは奥さんと私、そして男子ヘルパー2人でした。
二つのユースは行き来もあり、書ききれないほどの出来事がありました。

玄関で見送ってもらったとき、奥さんは目を真っ赤にしてました。港からは一緒に働いたヘルパーが見送ってくれました。私が甲板に出て、彼らは私を見上げてました。離れた場所では、桃岩荘の見送り隊20名ほどが、帰る宿泊者たちに向かって歌い踊り始めました。私の真下にいる男の子2人は、桃岩荘に負けないぐらいの大声で歌ってくれました。海岸通。彼らの頬に涙がいっぱい流れていました。
私は泣かなかった。玄関でも、船が動き出しても。奥歯を噛み締めてました。いつまでも手を振る彼らの姿が見えなくなって、私の部屋の窓が遠くに見えたとき、やっと子供みたいに泣いたのでした。

『100人で書いた本〜場所篇〜』
https://www.amazon.co.jp/dp/B079CMMX2Z

仲谷史子@心に響く文章講座

第3回 100人共著プロジェクトで、最優秀著者賞をいただきまして、心から感謝しています。
文章講座の講師をしているため、3位内に入らなければ生徒さんに申し訳たたないとか考えて、いつも余計なプレッシャーを感じています。
が、そのプレッシャーが私を成長させてくれそうです。

私は、デビューしているプロ作家ではありません。予選通過で、良いところまではいくけど落選している素人です。
VALUの肩書は作家が一番近いと思って選びましたが、まだまだ素人です。
でも、教えるのは得意で、こちらはプロ意識を持ってます。プロ野球で一軍には入れないけど、コーチとしては一流になる選手。自分はそのタイプだろうなと思います。

でも、いつか文学新人賞をとりたいと思っています。2000人に一人の難関です。肩書よりも、新人賞の作品は、プロよりも面白いといわれてるからです。面白い作品を一生かけて書いてみたい。

私は教科書に出てくるような作品を書きます。それが受賞に届かないネックでもあります。
ブッ壊れる素晴らしさを、 100人共著の作品群に教えられました。私にとってこのプロジェクトは、学び多きものとなってます。

今後ともよろしくお願いします。

優勝作品は、No.41、旅人です。
旅人は帰る場所があるから旅ができる。本当の帰る場所は自分なのだと、大自然と人々が教えてくれた。
そんなことを密かなテーマとして書いてました。
私の実体験です。

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仲谷史子@心に響く文章講座

本流と源流について先日書きましたが、まだ整理ついてなかったため、ようやくまとまり、FBで書いたことを記しておきます。

体験談や小説には
本筋と本流と源流がある、という話です。

体験談や小説を書くときに、突き抜けた文才を持つ人たちは何をしているか

この二人の作品を読むと、いつも私は美味いビールを飲み干したときみたいに「くわぁああ!」と叫ぶ。
作品の中に、本流と源流を生み出す人だ。
私がこれから伝えていきたい技術を、この人たちはすでに使えていたのだ、ということを、本流と源流について考えるようになって、理解した。
体験ひとつ書いても、上手いを超えて、突き抜ける。

私は無意識に本流と源流を生み出してしまうところがある。これだと教える側として、説明できない問題がある。
画家の山下清は、絵を端っこから描くらしい。普通は構図を先に考え、花火を真ん中ぐらいに描くと思うが、端っこから描くのに良い構図になる。
私も似たところがある。端っこから書いていくうちに勝手に構成されていく。
本流と呼べるテーマみたいなもの、行間から滲み出る源流は、書き終わってから自分で気付いたりする。

だけど、よくよく思い出してみると、書きだしたときに「私はこれを表現したい」というのは、ぼんやりながらも感じとっている。本流と呼べるものだ。源流も、途中から感じている。源流は言語化できない真理みたいなもの。その頃には催眠状態で勝手にストーリーが進むため、いわゆる変人になっていて、だから、誰も彼も変人になりなさいと言えないこともあり「これさえすれば誰でも」というのを私はつかみたいのだ。

小説家が無意識に使う技術を扱うことで、行間が生まれ、本流も源流も現れやすくなるが、あと一歩、書く側の意識として説明しなければならないことが見えてきた。

yさんは、私のタイプと似ていた。本流は完全な無意識ではなく、半意識的といったところか。源流も感じ取りながら書くという。

iさんは、完全な山下清だ。なにを書いたかわかりません、思いつくままなので、と恥ずかしそうに提示する作品は、完全な文学作品になっている。
こんな凄いものを書いて、どこが良いのかわかりません、とくるから、私はその説明に必死になる。

こうして、二人の突き抜けた文才の持ち主を前にして、誰でもそれができるようになるために、まず私が生徒さんたちに伝えていけることはなにかを一緒に考えてもらった。

いま出版されている、「100人で書いた本〜場所篇〜」を三人でいくつか読み、本流を意識して書いている人と無視して書いている人、無意識にあって文章に見え隠れしているが本人は気付いていない人がいるらしいことがわかった。

本流というのは【このネタを使って自分はなにを表現したいのか】であり、また、それは文章上で書いては野暮になり、秘めておくほうが良い。
さらに意識に【】を持ったとしても、あまりにハッキリさせるとダサくなる、という難しさがある。
テーマはざっくりがいいと言われている。表現したいことは顕在意識のため、頭にのぼるテーマは心の奥にあるものより薄っぺらいものだ。ざっくりさせることで、書いているうちに心の奥にあるものが表出しやすくなる。心の奥にあるものは、真理に近い。

話が横道にそれてしまったが、場所篇には、【このネタを使って自分は表現していくのだ】という意図を持って書かれたものと、持たずに書かれたものがあるようだった。
その意図をぼんやりながらでも持っていた人は、何人ぐらいだろうか。

場所篇とお題がでて、好きな場所や思い出の場所を書く人、居場所という概念を書く人、いろいろあるが、その「ネタやストーリー」は、なにを表現したいかの「ツール」であることを、何人ぐらいの人が知っていたのだろう。
好きな場所を書いて終わり、思い出を書いて終わり、では、伝わりが弱くなってしまう。文章としてはオーケーなのだけど。
この意図については、私は無意識ではなく常にハッキリ持っていたため、誰でもそうするものだと思っていた。が、そうでもないことを、今頃になって知った。

私はこのごろ思うのだ。人が体験談を書く場合、人生の中からネタを選ぶとき、すでに自分が表現したいものを持っているのだと。
表現したいことを、無意識のままで表現できるのは山下清ぐらいだろう。一般的には、半意識的でも、無理矢理でもいいから、ざっくりと持ち、しっかり意図して書くのが良いのだと思う。
最近、絵描きの人からも、写真家からも、同じことを聞いた。

心に響く文章講座、アドバンスにて

※あまりにもわかりにくい説明を書いてしまいました。
少しまとめます。

体験談や小説には、
本筋と、本流と、源流があります。

本筋は、ネタとストーリー

本流は、行間から浮かび上がる、自分が表現したいこと。最初にこれを表現するのだと、意図しておくこと。
(たとえば、【挫折が最も私を成長させてくれた】【男女は解り合えないけど、だからこそ解り合おうとするのが愛なのかもしれない】といった文脈。これは文章上で言語化してはダメになり、頭の中でも、〜のようなもの、とざっくりさせておくほうがいいです)

源流は、行間から浮かび上がる、真理のようなもの。
(仏陀の言葉みたいなもの。言語化すると消えてしまう。本筋と本流が整い、小説家の技術を使うことで現れるようです)
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本筋は、筋に関係のないことをいっさい書かないことで整います。

本流は、意図を持つことで、書いているうちに、ぴったりのシーンや言葉が浮かび、流れが整っていきます。ざっくりと感じ取ることで、本筋にカーブができたり、良い揺らぎがおきます。

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また、コラム(自分の考えや思いを書いた文章)にも、意図は必要だと感じます。コラムには1割から2割の体験を取り入れたりしますが、表現したいことを感じ、表現するのだと意図を持つと、その話にぴったりのエピソード、言葉が浮かんでくるのでは。そういったコラムは、伝わってきます。
これもまた、表現したいことはざっくりが良く、ハッキリしたものは押し付け感が出たり、主観に読めたりしてしまうのが難しいところです。

そして、筋に関係のないことはいっさい書かない、というのも、小説や体験談と同じく大切に思います。