IoT端末を使って、コミュニティの情報共有のしくみ。身近な写真の共有のしくみを低コストで実現したい。

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コンピュータ好きのユーザーです。
Iwao Iwamoto


ソフトも色々勉強をしました。

勉強と言っても、そのソフトを猛烈に使い込んで体が覚えるまでやるだけですけど。

そうすると勝手に指が動くようになる。

だから説明すると早すぎて相手はわからない。

それに気が付き一からわかるまで説明する。

ようにしてました。

気が付くと、人よりは少しできるようになっていました。

Iwao Iwamoto


今日も電話です。

パソコンが動かない!

どうもネットワークが繋がらない。

当時は、パソコンの性能が低く再起動には大変時間が掛かりました。

特に修理の時は何度も再起動するので余計です。

設定を変え、再起動。

ドライバを削除し、再起動。

新しいドライバをインストールし再起動。

まだ接続できず、次のドライバをインストール、再起動。

これで何時間も拘束されました。

OSのバージョン及びメーカーの特性 etc

パソコンの同じシリーズでも時期が違うと中身が変わりドライバが違う。

何とかしてくれ!

そこでOS、PC、シリーズごとのドライバを準備して待機

なんて手間の掛かることをしてました。

Iwao Iwamoto


ふた昔前はHDDが物凄く高価でした。

というより全てが高価でした。

8インチのFDDが確か40~50万円ほどした記憶があります。

その後5インチFDD、3.5インチFDDと変わってゆき

CD-ROMが出てDVD-ROMになり

今は上のメディアが無いです。

なのでほとんど

その時代にバックアップなどをするのは今思えばホント無駄遣いでした;

でも、その当時もデータは命でした。

Iwao Iwamoto


私は一度サーバーのデータが消えたことがありました。

それはそれは背筋が凍りました;

幸い8割方復旧したのですが、

それからバックアップは必ず取ることにしました。



でもこれが大変コストが掛かることで..

まず、バックアップユニットが必要です。

次にバックアップメディアが要ります。

そしてバックアップソフトウェアが必要です。

まあ、昔の話ですから当然、高額な訳ですよ。

でも、保険のようなもので

導入することにしました。

「DAT」とソフトウェアを入れたのですが。

毎週バックアップ(月火水木金土)と5本、毎日入替をしました。
毎月バックアップなど 色々準備して

次にソフトウェアを端から端まで読んでと。

テストをして

運用に漕ぎつけるまでに随分と時間を要したと思います。

で、案の定

データが消えた!

戻して!

という悲鳴の電話が入ります。

とさ

Iwao Iwamoto


また電話です。

ここにあったデータが消えてる!

昨日まであったデータが消えてるよ。何とかしてくれ!

データの集約を進めるとデータはサーバへ保存することが普通になってきます。

A子さん、あの〇〇データどこにある?

係長そのデータはサーバのここのフォルダにありますよ。

という話が普通になってきます。

また〇〇のファイル類はこのフォルダのここに置くようにしました。

なので関連ファイルはこのフォルダに保存願います。

でも昨日まであった〇〇が消えている!

ということで「バックアップ」という概念が必要になりました。

とさ

Iwao Iwamoto


話を戻します。

ネットワーク機器にはIPアドレスが必要ですけど、私のは何もしてないけど繋がるの?

そうです。一般的に機器はIPアドレスを自動で取得する設定になっており(DHCPといいます)

繋がってしまうのです。

#スマホなどは実はこのDHCPになっていて普段は解らなくとも繋がってしまいます
#DHCPはスマホのキャリアがアドレスを配布していますなので知らずに利用してい
#ています。                                   

企業ではこのアドレスを固定にしていてその流れでパソコンも固定になっているものが多いです。

ということは、アドレスを厳格に管理しているところがあります。でないと番号が重複してし

まいますからね。

それを知らずに番号を勝手に変更、もしくは新規で設定すると今回のような繋がらない状況が

起きてしまいます。

Iwao Iwamoto


ネットワーク機器は通信する場合にIPアドレスを使います。

TCP/IPはアメリカ国防総省高等研究計画局(DARPA(ダーパ)が1975年に開発しました。

戦争で通信が切断されても確実に情報のやり取りが出来る仕組みを考えました。

これを 1970年代にUNIX(ユニックス)(ベル研究所が開発したオペレーティングシステム)

のカリフォルニア大学バークリー校版であるBSD(Berkeley Software Distribution)の

通信プロトコルとして採用されたのがきっかけです。

いまでは全世界で利用されています。

ネットワークの種類は色々ありましたが淘汰されTCP/IPが世界標準です。

(その他にも以前ご説明した STAR-LAN・NETWEAR・Appleトーク が有名です)

とさ

Iwao Iwamoto


時にネットワーク内からトラブルが発生します!

電話が掛かってきてパソコンが繋がらない!!

行ってみると画面の右下のコンピュータマークが「!」が付いています。

「ネットワークに繋がっていない」のです。

「DOS」画面を開きルータまでの「ping」を打ってみる。

繋がりますね。ん!? 繋がったり繋がらなかったり。

パソコンのアドレスを確認。番号が被っていない?

そうです。パソコンには一つ一つ番号が必要です。

その番号が無いとサーバーからその番号に返事が返せないのです。

でもどうすれば..。

とさ

Iwao Iwamoto


100台を超える端末から次のアクセスがあります。

1  コミュニケーション (メール、WEBアクセス)
2  生産管理への問い合わせ(実績入力、検索etc)
3  ファイルサーバへのアクセス(各担当者の活動情報の保管)
4  過去の情報へのアクセス
5  本社とのアクセス(AS400の端末)
        本社がAS400なのでそのアクセス端末+プリンタ

これを L2 Switch が交通整理が行い各サーバへトスします。

Iwao Iwamoto


会社は工場も併設していたので距離が長い場所もありました。約100M位ですかね

事務棟は CAT5(いわゆるカテゴリー5です)
    当時の話です(今はもっと早いケーブルがありますが)

工場は 当初は10base2(いわゆるイエローケーブルです)
    のちにCAT5に置き換わりますが;

長距離になると 光ケーブル
    150Mほど離れたところに購買部門がありました。

当時のネットワークの構成です。

<サーバ室>
L2 Switch + 光トランシーバ + 各サーバをラックユニット収める
専用線接続Switch + モバイル接続用モデム 等々

<工場棟1F・2F>
中継Switch -> アクセスSwitch -> 各端末へ
2Fの一番外側の窓には無線アンテナ(今でいうWi-Fiです)

<購買部門>
光トランシーバ + HUB -> 各端末へ
200M程離れた所に事務所がありました。(子会社です;一般公道の先です)
受け側にレシーバを置きテストで接続テストを行いました。なんと繋がりましたヨ。

Iwao Iwamoto


今までの経緯で当初PCの数は10数台でしたが..

各部署(営業・生産管理・購買・製造・品証)とシステムの管理が容易になると

100台を超えてくるようになりました。

データを提供するホストサーバーも当然増えてきます。

各部署の活動データを保管するファイルサーバ

生産管理をホストする「HOEP」サーバ

会計システムをホストするサーバ

コミュニケーションをホストする「NOTES」サーバ(当時はNOTESでした;)

古いデータを記録しCD-ROM書いて提供するCD-ROMサーバ

バックアップサーバ etc...。

これだけあればデータの交通整理が必要になります。

とさ

Iwao Iwamoto


社内に「HOPE」の開発メンバーがいると利点が多くあります。

社内の改善要求にスピーディに対応できるからです。

それがシステムの完成度をあげ、現場の要求が増えさらに完成度が上がります。

「HOPE」の開発進むと管理端末PCが増えてゆきました。

規模が大きくなりPCが増えるとネットワークの中を流れるデータの量が増えます

アクセスが増えると、それを交通整理する必要が出てきます。

とさ

Iwao Iwamoto


「dbMagic」は開発スピードが断然速く当時はユーザーの開発要求に即座に対応することが

でき大変重宝した記憶があります。

いまさら「dbMagic」を進めると言うつもりは無いが一時は話題になったこともあります。

SQLコーディネーターなので

接続できるDBは自由に選ぶことが出来る(ハイ常識ですね;)

とさ

Iwao Iwamoto


「HOPE」の開発は 〇〇〇〇 との協業でスタートしました。

コアの部分は 〇〇〇〇 のパッケージを利用・カスタマイズしましたが

細かいところは社内開発にしました。

理由は..。

外部に依頼するとコストが膨らむからです。

社内開発の費用は人件費だけです。当時は人件費の方が安かったのです。

「HOPE」がカットオーバーした後は、システムの改修は社内で行います。

その為にメンテナンスに優れた開発言語を使用しました。

それが「dbMagic」。

とさ

Iwao Iwamoto


そこで有志に声をかけ一気通貫のシステムを構築することになりました。

見積 → 受注 → 生産 → 検査 → 納品 → 検収 → 会計システムへ

一から作るのはさすがにシンドイとうことで当時付き合いのあった 〇〇〇〇 へ

〇〇〇〇 とは JUNKO システムという詳細計画作成システムをUNIXで構築したことが

あり、そのコネで作ることが承認されました。

名前は「HOPE」と名づけられました。

〇〇〇〇 とは月一の会合で仕様を決めコーディングをし検証を重ねました。

月一の会合後は外部のコテージを借り親睦を重ねシステムを作り上げてゆきました。

ほぼ発案から約1年 システムは完成しました。

とさ

Iwao Iwamoto


Windows95でパソコンが身近になると

システムを連動させる要望が出てきます。

生産工場だといわゆる「生産管理システム」が欲しいと

見積 → 受注 → 生産 → 検査 → 納品 → 検収

ここから

会計システムへのデータ転送

併行して

人事・給与システム(勤怠管理との連動)

すべて繋げてみたい(要望が出ます)