1960年生まれ、
究極のアートを目指して、
点による作品・線描による作品などを、
展開・活動したい。

世界標準の現代アーティストとして評価される
トリッキーな手立てを講じつつ、
自作を制作し続け、「valuでアート」を軌道に乗せ、
世界標準の現代アーティストとして、
世界標準の現代アートとそれ以外の美術表現を
等しく並列化して評価する足がかりを得ること。

【valuでアート】
noteにvaluの作家と作品を
キュレーションし紹介する記事を
企画。賛同者を募集しています。
アクセスはこちら!
https://discord.gg/X3gkUpR

※基本サイトを制作。
https://valu-art.studio.design/

※ちなみに松山市・姫路市・高松市に
数年ずつ住んでいたことあり。

作品サイト
https://ryjzw.jimdo.com/

ポートフォリオ
https://ryjzw.pb.online/

【できる事】
●アナログ・デジタルでのアート作品の制作
●アートとデザインのコンセプト構築
●illustratorとphotoshopによるデザイン
●グラフィック・デザイン作業
●論文的もしくはエッセイなどの文章化

【勉強中】
●processing(あまり進んでない)

【今後】
究極の作品の制作も進み、
さて、今後、どうするか。
まずは、画廊探しかと検討する中で、
いや、そうじゃない。
通常のパターンは、
まずは、自分と相性の良い画廊を探し、
予算もかけてポートフォリオを制作して
持参の上、交渉し、そこから発展するか、
他を探すか、って、
58歳にもなって、
そんな余裕がある訳がない、。
そうだ、正攻法ではない。
もっと極端で究極的で効率の良い
非正攻法を編み出すしかない。
それが、どんなに、
不可解で不可能な方法だとしても!


世界標準の現代アートワールドで、究極を目指すことが私のテーマであり、それは「Art=・」という一文のコンセプトに集約される。
しかし、それはどこを起源に生まれたのだろう?
それは、現代アートの歴史を自分なりに分析した結果であり、あって然るべき結論であると私は信じている。
私にとっての現代アートの究極化というコンセプトの起源は、やはりマレーヴィチの絶対主義の絵画にほかならない。
白地に白い四角形を描いただけの作品と黒い正方形の作品だ。
まさにこれぞ究極と思った記憶がある。
マレーヴィチの四角形の作品に、少し遡ってモンドリアンの直交座標、いや端的に直線を接続すれば、黒い直線だけの究極の現代アート作品となるだろう。
(「Art=・」とは別にサブとして「Art=ー」という黒い直線だけの作品もコンセプト化して企画している)
しかし、クラウスが明らかにしたようにグリッドが現代アートの隠れた基準として存在するように、黒い直線もまた現代アートにおいてはひとつの潮流として顕在化してはいないだろうか。
今では黒い直線は誰のものでもない共有化されたデータベースとして存在しているように思えるのだ。
今では誰のオリジナルでもない、ひとつの共有化されたデータベースとして、黒い直線は顕在化しているのだ。
それはステラの黒いストライプに端を発してフランソワ・モルレにまで至っていると言って良いだろう。
黒い直線はカラーリングされて、ライリーやビュランに芳醇な技法を可能にさせてもいる。
また現代アートの究極化として思い出されるのは、ほかでもないジャッドの箱状の作品であり、ルゥイットのキューブ(=ジャングルジムのような)作品だ。
それ以外のなにものでもない究極の現代アート作品と言えるだろう。
どこにも中心が見えない、究極とされた作品である。
特にジャッドの作品は、中心が見えないだけではない、作品の構造さえもが明確化された特異な現代アートの究極の作品である。
そしてコスースの「芸術とは芸術の定義である」というコンセプチュアルな視点を接続すれば、更に現代アートの究極化が見えて来る筈だ。
今までの思考を私なりに総括して結論として見出されたのは、点である。
まさに「Art=・」これである。
世界標準の現代アートを究極化するなら、点の作品にほかならない。
それが究極の結論である。
同時に作品の構造さえもを明確化すること。
点こそ、究極化された現代アートのすべてなのだ。
ただし、それは草間彌生の水玉やハーストのスポットとは、似て非なるものであることは、誤解を避けるためにも、あらかじめ指摘しておきたい。
草間の水玉は多様化するための恣意的な、そして同時に彼女の幻視によるものであり、究極化とは異なるものである。
ハーストのスポットペインティングも彼の中では、ひとつの技法であり、アートなのかデザインなのかを問うあからさまな手立てにほかならない。
彼のほかの作品と合わせて多様化された作品群のひとつにほかならないのだ。
果たしてそれは究極化と言えるだろうか?
点を描くこと、そして同時に、作品の構造を可能な限り明確化すること、それが世界標準の現代アート作品の究極化なのである。

「Art=・」それが究極のすべてである。

究極化された、世界標準の現代アート作品である。
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