せっせと夜なべして何かを作るおじさん。
何かを作ってもお金にはあまりならない。でもせっせと何かを作る。そうスーパープログラマーだからね。

プログラムを作り始めたきっかけは中学一年生の時
EPSON PC286Cを手に入れたことでdisk basicが付属していた。それとMS-DOSのロックを外すdiskが付いてたと思う。
あとBASICの本が付いてたので始めて作ったのはその本に書いてあったサンプル。タイピングの練習ができるゲームで一生懸命入力していた。しかしプログラムを打っている途中でPRINTという命令があるのに気付いた。家にはプリンターが無いのにPRINTって動かないにきまってると思い込んでその命令を全てNOPRINTと打ち込む。案の定すべてsynyax errorで止まる。やっぱりちゃんと入力しないとだめかなプリンター無いけどと思いちゃんと入力すると動いた。プログラムすげーと思ったのはこの時である。BASICがそこそこ使えるようになってきた中学三年の頃アセンブラ言語がやりたくてしょうがなくて当時5万円くらいするMicrosoftMacroAssembler6.0に手を出す。BASICの感覚で作ろうと思うと全く仕様が違うのでパニック状態!まだインターネットも全く普及してない時代に本を片手に一生懸命覚える。するとどうでしょう少しづつ使えるようになってくるではありませんかお陰で当時はBASICでは画像の描画が致命的に遅かったがそこそこ早くなった。ただ当時のファルコムのゲームなどと比べるとやはり速度は出ない。ただその頃にはPC-9821Cb 通称キャンビーを手に入れアセンブラで256色のお絵かきエディタを作ったりして遊んでいた。Windows3.1がインストールされていたがまだまだMS-DOSが強かったのでDOSで作っていた。しかし時代はGUIになりWindows95が出たときには周りはフィーバー状態。次第にDOSでは作らなくなりWindows95で作ろうと決心する。ただ、まだプログラムの環境が成熟していない時代でこっちの知識はBASICとアセンブラのみで取り残された状態やっとBorlandDelphiでGUIアプリの基礎を学んで次にやっとVisualC++に手を出す。3.1の頃にVisualC++1.0を持っていたが全く意味がわからず挫折VisualC++5.0のIDEが多少使いやすかったのとDirectX5の本が別冊I/Oで出版されておりそれを購入したことで作るのは大変だがWindowsでゲームを作るきっかけを与えてくれた。その頃には20歳になっておりすでに東京へ行っている高校の友達とゲームを作りはじめる。その友達の家に住んでいたのだが1R6畳ですでに下が収納の二段ベッドがすでに設置していたのでフリーにできるスペースは1畳程度であった。そのくせ家賃は半々で最初は上京したテンションで楽しかったが次第にストレスになる。ただ仕事もしてなかったのでなんやかんやで一年ほど過ぎる。ただ、その間に友人と同人ゲームを出すことができぼちぼちの売上を出すことができた。これをきっかけにゲーム会社への就職を考えるようになるがまったくつてがなく入るのに何社か応募してみるがあえなく失敗。派遣会社経由でなんとか入れる。そこは恵比寿にあるそこそこ大きいサードの会社でPS2の案件を手伝わせてもらうことができた。PS2の案件でPS2の開発機材がでかいPS2という印象だった。IDEはMetroworksCodewarriorというソフトで慣れればVisualStudio並みに使える代物だった。なんとかそこで社長に認められ正社員への話があったのだが、この会社を紹介した会社がこちらへ来てほしいという話をしてきた。給料が+5万が魅力的で結局その会社へ行くことになる。その会社は秋葉原にある会社でまず入ってやらされることはまさかのパソコンを店舗へ買いに行くことから始める。こちらはGamecubeの仕事。ここの会社の仕事は移植でセカンドが作ったPS2のゲームを移植するのだがネットからソース等をもらうのだがインターネットが遅すぎて1日かけてダウンロードしてPS2で起動するのだが開発機材の調子が悪く起動時に出るIPアドレスが表示されなくて接続ができないという問題があったが時々表示されたのでなんとか起動できた前の会社でPS2を使っていなかったらまったくわからないような事だったので本当に助かった。そして移植になるのだが前作のGamecube、PS2版から新作PS2版とGamecube版のリリースになるのだがPS2のコードが先にあがってそのソースからGamecubeに移植するので仕様書というもの無く実行して動かしてそのゲームが仕様といった感じだった。なんというか海賊版を作っているような感じだ。無論ソースの説明をしてくれる人もいないので初めはどこのソースをいじればいいのかわからなかったが、週3で会社で寝泊まりしGamecubeの移植プログラマーが最終10人以上になりなんとか作れてきた。しかしそのせいで給料払えない問題が出て自分はギリギリもらえたが他の人は月5万という人もいてこの会社の終焉がやってきたなと思った。印象的だったのは手伝っていた女性プログラマーがswithの使い方ってどうやるんだっけ?とか既に数年作り続けているPS1のゲームがあり結局未発売だったりでまぁなるべくしてなったかなという。それでもWebをチェックした感じだと数年前まで生き残っていたのがそこの凄腕営業マンのおかげだろうか。次の会社を紹介してもらったのはこの会社でデザインを担当していた別の会社の社長で30代くらいの人で歩くのが速かった印象。その時は大阪が羽振りがいいということでそそくさと大阪に移動。そこも結構大きい会社だったので結構頼りになる方がいたので非常に居やすい環境だった。そこには結局2003〜2009年まで勤めることになる。PS2、Gamecube、Wii、Xbox360、PS3といろいろとハードが変わって面白い時期であった。派遣からフリーランスへの切り替えにより給料も20代にしてはなかなかもらっていた。ちなみにTarCoon☆CarToonとはその会社で知り合っている。大阪の会社も住処もなかなか居心地がよかったが会社を作りたいという理由で退職し地元へ帰る。しかし地元へ帰ったところでなかなか一人ではやる気にならずニート状態になってしまった。そこで就職を考えて職業訓練所へ行き知り合った人と風俗系のサイトを立ち上げるがまったくノウハウもなくその人にいいように使われているだけだったので逃げるように兼ねてから行きたかった北海道旅行へ行く。それは車中泊で如何に安く北海道を楽しむかということで計ひと月ほど旅行へ出た。北海道で最初に到着するのは小樽で石原裕次郎記念館が近くにあったので早速立ち寄った。なかなか記念館が楽しくて最終的には千代の富士や北島三郎のところにも立ち寄った。北島三郎館はロボ島三郎が祭りを歌うのだがロボの動きが絶妙でキモさとさぶいゃんらしさの可愛いさを兼ね備えており観ている人を圧巻させてくれる。ちなみにやはり北海道といえばラーメンを食べなくてはと思い北海道で食べたラーメンは小樽水族館のフードコートで食べた味噌ラーメンなのだが絶品だった。まさかこのフードコートレベルでこの旨さなのか!と思い次に寄った札幌のラーメンは普通より少し旨いかなレベルだったのでそれ以降ラーメン探索は終了した。この北海道旅行で持っていったのは寝袋とノートパソコン、ガラケー、iPodTouchでネット環境を整えるということが非常に難しい課題となっていた。世間ではiPhone4が出ている頃である。まだテザリングなどの接続方法なども一般でなくましてや持っているガラケーでは不可能。しかしその反面まだwi-fiのセキュリティが甘くオープンで放置しているwi-fiがちらほらあったので拝借していた。そこで非常に助かったのは小樽天狗山の駐車場に何故かwi-fiが使えるところがあり夜はそこで休んでいた。小樽には3日ほど滞在することになる。wi-fiがあるだけでかなり快適になったので惜しんで小樽を後にすることとなる。その後に訪れたのは神威岬という岬でちょうど雨上がりの頃に着いた。これがかなり素晴らしく日本の景色とはかけ離れたものだった。光が雲間から差し込み岬の先から見る海の大きさ見渡すと人工物が全くと言っていいほどなく遠くの崖も木が無く地元で見たような防風林だらけの浜とは全く違うものだった。この景色のお陰で北海道により一層引き込まれることになった。
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